今日も終電だ・・・
よく「アタマがかたい」とかいう表現を聞く。頑固オヤジを表現するときなんかに。
あと、(頑固オヤジでなくても、) 「柔軟性がある/ない」とか「応用力がある/ない」とかも、なんとなく 「アタマがかたい/やわらかい」という表現の言い換えのように思える。
そんな表現とは少し違うが、最近実感してヤバイと思うのが、 「かつて頻繁に使っていた、脳のある部分を最近使ってないのかな?」 という思い。
最近、まったく本を読まない。 学生時代には、多読では無かったが、たまには本を読んだ。 小説とか、哲学っぽいものとか、詩集とか。
読んでいくうちに「おおぉぉ・・・」と惹きこまれて夢中になる! そんな感じとは最近ご無沙汰だ。 あのとき使っていた、脳の或る部分を、最近全然使っていないよなぁと。
まずいぞ。これは。
少し前、会社のSくんと話をしているときに何故か詩の話になった。 そのときに自分が話したのは、 「萩原朔太郎の"タコ"だっけなぁ。あれは衝撃的だった。」
後で調べたら、題名は"死なない蛸"だった。 しかし、物忘れのひどい自分が真っ先に挙げるんだから、よほどインパクト強かったんだろう。
水槽の中で、人々に忘れられた蛸が、飢餓のあまり自分の足から食べ始め、 最終的には自分を全部食べてしまって、姿かたちは消滅してしまった それでも、ものすごい飢餓感をもった蛸は、確かに水槽の中で生きていた ・・・という内容。
もちろん、暗記しているわけはないが、内容はほぼ間違いなく話したような気がする。 初めて読んだときは、少し怖いような、暗くなるような・・・でも、生命力に 感動するような・・・そんな印象を受けたような気がする。
そんな話をしながら、ちょっと使っていない脳の「或る部分」が目覚めかけたような気がした。 | |